No10
年輪年代と泉州の重要遺跡
池上曽根遺跡
池上町の桃田宅の家屋立替工事の時に出て来たヒスイの勾玉で、
出雲風土記によれば、勾玉は太陽と月が重なり合った形を現し、太陽と月の力の恵みを受けることで、幸運を呼び込んでいると言われている。
No 11
讃良郡条里遺跡の子持ち勾玉
上は池上曽根遺跡で見つかったヒノキ材柱とケヤキ材柱の位置で、年輪年代測定法で柱穴4は西暦前93年と判り、柱穴6は西暦前115年と判り、柱穴12は西暦前52年と判り、柱穴16は西暦前56年と判ったのです。それまでは遺跡の年代は西暦200年位と言われてきたのですが、土器編年に因る相対年よりも、250年は遡るのが判ったのです。日本の古代史に50年〜250年のずれが有るのが解ったのです。年輪は絶対年ですが、昔に切った木を再利用した時が困るのです。池上曽根遺跡でも古いのが西暦前115年で、新しいのが西暦前52年ですから、西暦前52年に出来た事になっていますが、環濠の遺物から幾度も建替えられていると考えられ、西暦前115年には建てられていたのではと考えられます。間違いが無いのは西暦前52年です。発掘時に出て来た木の実を参考に、木が植えられていますが、トチノキ・クヌギは信太山丘陵には無く、アラカシ・アベマキ・ホオノキが.有るのです。
左の写真は池上曽根遺跡で見つかった大型建物の復元の参考になった土器片です。
建物の外にある独立棟持柱は伊勢神宮に見られ、
屋根倉式の建物は東南アジア、中国雲南省に見られます。
アイヌ地名が残っている事からも、始めにアイヌ人が居て、その後スンダ−ランドから人が来て、次に大陸から渡来人が来たと考えられます。
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上の写真は池上曽根遺跡で見つかった大型建物の柱穴です。
大型掘立柱建物の平面図