邪馬台国への道
No 3
楯築遺跡
岡山県倉敷市の吉備楯築遺跡
楯築遺跡の特殊器台も初期の前方後円墳に導入されている。古墳時代の幕開け前後における吉備の影響力の大きさををい物語り、楽浪系の木棺墓、稲、製鉄遺跡からも中国との交流が有ったのが解る
邪馬台国(大和朝廷)は上記からも解るように吉備(現岡山県)の大国を避けて日本海側を通らなければ魏王朝の首都洛陽へは行けなかったのです。
だから出雲には恩義を感じているように思えます。

岡山県の彦崎貝塚や朝寝鼻貝塚からは、6000年前のプラントオパ−ルが見つかっており、中国の漢民族から逃げてきた人々が雲南の人々と同じように日本で稲作を行ったと思われます。
弥生時代の後期では国内最大級の古墳で箸墓古墳よりも古い
特殊器台
最古の稲
魏の首都洛陽への道
楯築遺跡棺内の朱
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No 4
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