邪馬台国への道
No 2
日本書紀には、西暦598年に新羅への使者が帰国した時に、鵲(カササギ)を持ち帰り推古天皇に
献上したとある。
源氏物語の浮き舟のところでは、・・・・・・・
寒き州崎に立てる笠鷺の姿も、所がらは、いとをかしう身ゆるに、・・・・
とあり、鵲(カササギ)を知っているのです。
吉野ヶ里遺跡の北西
佐賀平野にだけ生息する鵲(カササギ)
吉野ヶ里遺跡の北西に徐福が持ち込んだと思われる鵲(カササギ)が棲息しているのです。牛馬は弥生時代に渡来していますが、縄文時代の遺跡から出た馬はフッソ年代から鎌倉時代の馬だとわかっています。
和歌に出てくる鵲(カササギ)
鵲の渡せる橋に置く霜の白きを見れば、夜ぞ更けにける
天の川扇の風に霧はれて空すみわたる鵲の橋
深き夜の雲居の月やせえぬらん霜に渡せる鵲の橋
上の地図は神武天皇の東征の道順ですが、天皇スメラノミコトは、ツング−ス・満州語比較辞典によると、太陽sirun月miaをへてsumeへと発達とあり、ブリヤ−トでは、偉大な山をスメルと言っており、
日本の民族は北から来た人に続いて南の人が来たらしいのです。
縄文人のDNAがブリヤ−ト共和国のマクソホン村の人と一致するのです。だから北の天皇名が残りましたが、天孫降臨の地を、西の神秘的な高千穂峡に決めた以上は、東に東征しなければ話は続かないのです。大和より巨大な吉備国を超えてです。その後は大陸から多くの人が渡来して来ますが、大半は朝鮮人で、徐福のような中国人もいるのです。だから現在の日本人のベ−スはアイヌとブリヤ−トなので、文法、地名は北方系が残り、語彙は南方系なのです。
右の花は
弥生時代に日本
の冬に咲く、宮崎県に
自生する日向寒蘭で
高千穂峡の山手に
生える。
宮崎県へ行った時に
買うのですが、二度も
盗まれたのです。
大和にまで神秘的な場所と知られた
宮崎県に在る天孫降臨の地 高千穂峡
No 3
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日向寒蘭