邪馬台国と日本人

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卑弥呼は11代垂仁天皇の皇后で在った日葉酢媛命なのです。

日本書紀の編者は卑弥呼を神功皇后と考え120年のずれを調整したのです

三韓征伐を成し遂げたのは神功皇后では無く
仁徳天皇なのです。隣国の三国史記巻第三の
新羅本気第三 第十七代 奈勿尼師今の時38年
(西暦393年)倭軍が侵入して金城を包囲したが、
持久戦に持ち込み退却とあるが、第十八代
実聖尼師今の元年(西暦402年) 倭国と国交を結び、奈勿王の王子未斯欣を人質としたと記載されています。 この時の倭王は、私が修正した年表から、仁徳天皇になり、和泉市の一部の人は神功皇后の時代に来たと語り継がれていますが、神功皇后は死んでいましたが、仁徳天皇の御世です。

右の写真は、吉野ヶ里遺跡からでた赤いベンガラ(4基の内部からは、中国皇帝が珍重した水銀朱が検出されている)を塗った甕棺です。中国の神仙思想の表れです。高句麗では甕棺は使っていないのです。
次のペ−ジに出てくる鵲(カササギ)は飛翔能力が小さく、拡がらないので、徐福が連れてきて放した付近に今も居るのです。魏志倭人伝には鵲(カササギ)無しと有り吉野ヶ里付近にしか居ないのに、後の世の万葉集では歌われているのですが、知られていたのでしょう。
吉野ヶ里遺跡には屯倉があって大和朝廷に納税していたと思われます。大陸の人は虎のような猛獣から身を守る為に深い環濠を作ったと考えられます。
吉野ヶ里遺跡
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